米津玄師さよーならまたいつか!歌詞の意味考察「ブチ切れ」がポイント!

さよーならまたいつか 歌詞 意味 エンタメ

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NHK朝ドラ「虎に翼」の主題歌の「さよーならまたいつか!」

朝ドラに似合う軽快なメロディと爽やかな歌声の中にどこか闇も感じ、米津玄師さんらしいひとクセあるかっこいい楽曲ですよね。

軽快なメロディで綺麗な歌声で歌ってると思いきや、突然がなり声が入るところが「え?朝ドラぽくない」と驚きました。

そんな「さよーならまたいつか!」の歌詞はどういう想いで作られているのか。

歌詞の意味を考察していきます。

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米津玄師さよーならまたいつか!歌詞考察ポイント2つ

虎に翼 主題歌

さよーならまたいつか!の歌詞の考察ポイントは2つ。

  1. 軽やかなメロディの中にある「怒り」「ブチ切れ」
  2. 虎に翼ドラマの主人公と米津玄師さん自身を重ね合わせている

このポイントを押さえてから歌詞を読むと、意味が分かりやすくなります。

軽やかなメロディの中にある「怒り」「ブチ切れ」

朝ドラということでオファーがあったので、まずは毎朝聴ける曲でないといけない。

そうなると、優しいバラードが良いのか?と思ったけれど、「虎に翼」というドラマストーリーや主人公のイメージから「キレ」が必要だと米津玄師さんは思ったそう。

「ブチ切れ」「怒り」という強いエネルギーが。

というのも、このドラマは時代背景的にまだ男尊女卑が強くあった時代で、女性初の弁護士になった人の物語だからです。

男性に虐げながらも「何くそ」と怒りながら、女性の地位を切り開いていくという強いエネルギーや「ブチ切れ」の要素が必要だと感じたそうです。

なので、軽快なメロディの中、歌詞の節々に怒りの要素が感じられます。

虎に翼ドラマの主人公と米津玄師さん自身を重ね合わせている

歌詞は「虎に翼」ドラマの世界観がベースで描かれています。

しかし、ドラマの世界観を客観的に表現するか主観的に表現するかで米津玄師さんは葛藤したそう。

ドラマの制作の方には「米津さんなりに、俯瞰で、広がっていく世界を描いて欲しい」

と言われたので、最初は俯瞰で考えたけれど、そうすると「がんばる君へエール」みたいな歌になってしまう。

しかし、それは違うと米津さんは思いました。

男性である自分はドラマの世界観とは別の属性だけど、主観的に入りこみ、同一化した方がいいと。

なのでドラマの主人公の想いと、米津さん自身が重ね合わされた歌詞だと私は聴いていて思いました。

以上の2つのポイントを押さえ、歌詞の意味を考察していきます。


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さよーならまたいつか! 歌詞の意味を考察

歌詞の意味を1番から考察していきます。

さよーならまたいつか!1番の歌詞考察

どこから春が巡り来るのか
知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでた
気のない顔で

(さよーならまたいつか!歌詞より)

「春」「燕(つばめ)」「大人になった」など、新生活が始まる「スタート」の意味が込められた描写でしょう。

ドラマでは主人公が法律を学ぶために大学に通い始めます。
また、「燕(つばめ)」は自由に飛び回れて良いなという憧れの意味も入ってると思われます。

もしもわたしに翼があれば
願う度に悲しみに暮れた
さよなら 100年先でまた会いましょう
心配しないで

(さよーならまたいつか!歌詞より)

翼とは、自由さの象徴でしょう。
もっと自由にやりたいことができたら…虎に翼の時代では、女性の地位が低くなかなか思い通りにいかなかった。もどかしさが表現されています。

「100年先で」という歌詞は何度か出てきますが、この歌のキーワードでもある歌詞です。

制作の方に言われた「広がっていく世界」が込められたキーワード。

また、米津さん自身が100年とか1000年先の、ものすごく遠い未来に憧れや希望を持っているそうです。

遠い未来には自分はほぼ誰も知らない存在になってるだろうけど、受け継がれてるものもあるだろう。そんな自分の想いと、女性初の弁護士という主人公を重ね合わせているのでしょう。

いつの間にか花が落ちた
誰かがわたしに嘘をついた
土砂降りでも構わず飛んでく
その力が欲しかった

(さよーならまたいつか!歌詞より)

Bメロから歌詞の様子が変わります。
「花が落ちた」「嘘をついた」
そんな嫌なことがあっても構わず飛んでいく翼、力が欲しい。

もどかしい気持ちからの、怒りのエネルギーが現れています。

誰かと恋に落ちて また砕けてやがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで空に唾を吐く

(さよーならまたいつか!歌詞より)

思い通りにならぬことで苛立ち、口の中に血が滲んだのは、食いしばったからなのか?
喧嘩して殴ったりしたからなのかは分かりませんが、血が混じった唾を空に吐いた。

という描写でしょう。この描写の背景には「怒り」が表現されてるように感じます。

また、「空に唾を吐く」ここだけ歌い方が違い、がなりが入ります。

ここのがなり声、かなりキャッチーでこの歌のスパイスというか、醍醐味だと思うのですが、なぜがなり声を使ってるかというと、主人公役の伊藤沙莉さんの声を表現してるのだとか。

伊藤さんはハスキーで歪みのある独特の声です。
米津さんは「ゲイン感」と言ってました。

独特のゲイン感のある声を歌の中で表現したいとなって、ここだけがなり声で歌ってるんだとか。

そして、この歌い方をすることにより「ブチ切れ」感を表現してるそうです。

瞬け羽を広げ気儘に飛べどこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな知らねえけれど
さよーならまたいつか!

(さよーならまたいつか歌詞!より)

憧れていた燕のように、翼を得て自由に飛べる人間になれ!
というエールのようなフレーズに感じます。

100年先も〜の歌詞に関しては、先ほどと同じように、きっと遠い未来にも受け継がれているはずだから、大丈夫だ。

「知らねえけれど」部分が、関西人の「知らんけど」みたいで面白いんですが、主人公のケロッとした性格を表してる気がします。


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さよーならまたいつか!2番の歌詞考察

2番からはドラマでは流れないんですが、さらに複雑でマニアックなワードが増えます。

しぐるるやしぐるる町へ歩み入る
そこかしこで袖触れる
見上げた先には何も居なかった
ああ居なかった

(さよーならまたいつか!歌詞より)

「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」
という俳句から来た歌詞のようで、意味は時雨の中しぐれている山に歩いて入るという意味です。

雨が降っていても道がぬかるんでいても、止まることなく歩くしかないんだ。

という強い覚悟が感じられます。
袖触れるほどたくさんの人に会ったけれど、まだそこには求めたものがなかったという絶望感も。

したり顔で触らないで
背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ
わたしは春を見る

(さよーならまたいつか!歌詞より)

したり顔とは、してやったりという満足げな顔のこと。(今で言うドヤ顔ですね)
嫌な顔で触りに来るから腹が立って殴りつけたら的が外れた、という描写でしょう。

「人が宣う地獄の先にこそわたしは春を見る」このフレーズはドラマのシーンから来ています。

「母親の言うように生きるのが正解の生き方なんだろうけど、それは私にとって地獄でしかない」

という主人公の言葉がすごく印象的で、また米津さんも共感できるものがあり、この歌詞が生まれてるそうです。

誰かを愛したくてでも痛くていつしか雨霰
繋がれてた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
貫け狙い定め蓋し虎へどこまでもゆけ
100年先のあなたに会いたい消え失せるなよ
さよーならまたいつか!

(さよーならまたいつか!歌詞より)

サビ部分だけいつも恋や愛という恋愛ぽい歌詞が出てくるのが、すごく不思議なんですが‥。

「繋がれてた縄、噛みちぎる」ここは、1番と同じく「がなり声」で歌うところ。

ブチ切れた瞬間でしょう。
繋がれてたものから、自分の力で開放される姿を表現していると思われます。

蓋し虎へ〜は、「まさしく虎のようにどこまでも自由に羽ばたいていけ!」

と主人公の背中を押しているように感じます。
そして、その先で100年後のあなたは、道を切り開いて未来を作っているよと。
あなたの想いは受け継がれてる。

と主人公に言ってるようにも感じますし、一方、米津さん自身へ言ってる言葉のようにも感じます。消え失せるなよ。残していこうなと。

今恋に落ちて また砕けて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
今羽を広げ気儘に飛べ どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さよーならまたいつか!

(さよーならまたいつか!歌詞より)

最後のサビは、1番のサビとほぼ同じなので同じ部分は割愛しますが、最後だけ「100年先」というキラーワードが現れません。

その代わり「生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ」

という歌詞が入ります。

これまた深い歌詞だと思うんですが、自分という存在は誰にも染まらない、昔っから自分なんだよ、気づけよ!と主人公に言ってる気もするし、周りの意見に流されずに自分を生きろよという、聴いてる人へのエールにも感じます。

追記:米津さんのインタビューによると、「生まれた日からわたしでいたんだ」の意味は、嫌な自分を否定せず受け入れて認める、そうすると人を許せる。

男女とか色んな属性があるけれど、それは置いておいて、まずは私は私なんだよということを伝えたいと言っていました。

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さよーならまたいつか!は虎に翼の物語を主観的に表した歌詞

歌詞の意味の考察は、米津玄師さんの楽曲作りのインタビュー記事を読んで考察しました。

全体的には虎に翼の物語や主人公の想いを描いた歌詞ですが、そこに米津玄師さん自身を重ね合わせているところが面白いです。

ただ、客観的に見て「がんばる君へエール」みたいな歌になっていたら、「ブチ切れ」という激しい要素や、「知らねえけど」みたいなちょっと勝手な奴っぽい歌詞も出て来なかったんじゃないかなと思います。

だからあのがなり声で「空に唾を吐く」なのかと納得。

amataniya
amataniya

朝ドラ見てて、軽快なメロディの中突然あのフレーズが出てくるのは、最初聞いた時はビビりました。

さよーならまたいつか!MVの意味を考察|三つ編みの理由を読む>

ただ、考察しきれないところもありました。

一番分からなかったのは、サビで「恋に落ちて」「愛したくて」など突然恋愛ソングっぽいフレーズが入ること。

それまであまり恋愛っぽい要素がない歌詞なのに、サビで恋愛フレーズが入ると、恋愛の歌だったんか?と思ってしまいます。

虎に翼のドラマ的にも色恋な話はそこまで出てこないので、なんでだろうなと。
ドラマを見ていたらいずれわかってくるのかなーと。

文学的で、深くて難しい歌詞でした。

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