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東北

東日本大震災の震災遺構を巡る旅①大川小学校を語り部さんに案内してもらう

投稿日:

大川小学校

2020年3月14日~

日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大しつつある中、宮城県へ3度目の旅行へ。

(しかも安倍昭恵夫人が大分旅行に行ってた日と同じ日‥)

私の場合は昭恵さんと違って、コロナで仕事が暇になったから行ったのではなく
12月から予約していたので行った訳ですが
(と言い訳をさせてもらいます)

こんな時期だからどうしようかと旅行の直前まで散々考えました。

でも、どうしても行きたい理由がありました。

石巻の大川小学校に4月までに行きたかったんです。

語り部さんにお願いし、大川小学校を案内してもらいました。
その内容を残したいと思います。
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大川小学校へどうしても行きたかった理由

ちょっと前置きが長くなりますが‥
大川小学校に行くのは今回初めてではなく、2019年の秋に初めて訪れました。

学校にいた児童や先生、ほとんどの人が避難に遅れて津波で命を落とした小学校。

という事は有名だと思いますが
実際現地に行ってみるとテレビやニュースなどで見聞きしていたもの以上に、あまりにも衝撃が大きかった。

一番驚いたのは

  • 校庭の目の前に高台があるのに(上るのは数分で上れます)
    そこに避難せず津波が来るまでの50分もの間、先生の指示で児童は校庭に避難していた事
  • P9084525_LI_R

    コンクリートたたきの高台

    コンクリートたたきの高台

  • さらに、津波が来る数分前から別の場所に避難を始めたが、それが高台ではなくて津波が押し寄せた川の方だった事

【なぜ校庭の目の前に高台があるのに、そこへ行かず川の方へ行ったのか?】

この疑問が旅行後もずっと頭から離れず‥
真実を知りたくて語り部さんの話が聞きたいと思いました。

そして、facebookで『大川伝承の会』語り部ガイドを見つけました。
月一回程度大川小で語り部ガイドをされています。

一緒に旅行に行った友達と、来年はこれに参加しようと言っていた矢先

大川小学校が震災遺構として公園になる。
工事は令和2年の4月から始まる。

という情報を聞きつけました。

工事が始まるまでに行きたいと思い、友達と日程が合ったのが3月だったのです。

 
しかし、行こうと計画していた3月15日の『大川伝承の会』の語り部ガイドが
新型コロナウイルスの影響で中止になりました。

「語り部さんのお話を聞くのが目的の旅行なのでやめとこうか?」

と一緒に行く友達と相談しましたが

いや、個人の語り部さんに頼む方法もある!

と語り部さんを探し

『石巻在住者・石巻出身者等 石巻人による石巻語り部ガイド』

という語り部ガイドを見つけお願いしてみると、こころよく引き受けて下さいました。

語り部さんに大川小学校を案内してもらう

語り部をしてくれたのは、一般社団法人 防災プロジェクト代表の中井さんという方。

一般社団法人防災プロジェクト公式サイト

中井さんは東松島市に住んでいて被災されたそうです。

石巻市、東松島市、女川町、大川小など広範囲で語り部をされています。

大川小学校の前の駐車場で待ち合せをし
会ってすぐに説明を始めてくれました。

まずは駐車場で説明を聞く

橋が落ちている・・・

橋が落ちている・・・

学校の前には「北上川」という大きな川が流れています。
津波はこの川から来ました。

「今と震災前と全く違う点があります。
今ここ駐車場になっているので川がよく見えますが、元々ここは家があった場所なんですね。
学校周辺には家があって、学校から川は見えなかったんですね。」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

なるほど。家が沢山あったら川は見えない。

 

「あそこに橋があるでしょう。あの橋、津波によって落ちてしまったんです。なのでこの地区は孤立してしまいました。」

「橋が落ちたのは、海の近くに植えられた防風林の松が沢山流れて来て橋にぶつかったから。
橋の前で松が津波をせき止めるような形になり川から水が溢れ、小学校の校庭に一気に入ってきたそうです。」

 
私「え?!じゃあ橋がなかったらここまで大きな被害にならなかったって事ですか?」
 

「多分、そうですね。」

なんという・・

橋の前でせき止められた津波は小学校に入ってきて、校庭で渦を巻いていたそうです。

ここまで駐車場で一通り話を聞いて、学校内に行きます。

小学校の敷地内へ

大川小学校
3月15日。

3.11の数日後の日曜日という事もあり、以前来た時よりも人が多かったです。

献花台の前で手を合わせ‥

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次はこちらのパネルを案内されました。
避難したルートについて書いてあります。
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津波が来るまでの約50分間、児童たちは校庭で待機していたのですが
津波が来る数分前から移動を始めています。

橋のあるところが三角地帯という場所ですが
そこに向かって歩いていたそうです。

信号機あたりが三角地帯

信号機あたりが三角地帯

なんで、目の前に高台があるのにわざわざ津波が来てる橋の方へ?

って思いましたが、この三角地帯という場所は校庭よりも若干高くなっているそう。

ただ、そこへ向かった事よりも不思議なのが、そこへ向かったルートなのです!

校庭を出て右手へ行けばスムーズに三角地帯へ向かえます。

が、なぜか左手の方へ行って民家の細い道を歩いて向かったそうです。

そして行き止まりになり、立ち往生しているところに津波が襲ったそうです。

なぜこのルートで避難しようとしたかは、分からないそうです。

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小学校校舎の方へ

以前来た時も思いましたが、とってもモダンな校舎です。

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「2階の天井の色が違うでしょう。
手前は水が来たけれど、奥は来てない。
という事は水の流れがこう渦を巻いてたという事ですね~」
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(結構重要な話で、真剣に聞いてたつもりでしたが、寒さが限界で聞き漏れてしまった!)

南国育ちの私たちには東北は寒過ぎる。
晴れていたけれど激寒でした。

でも、震災の日はもっと寒かったんだろうな。
しかも雪も降っていました。

大津波警報がひっきりなしに鳴る中、子供達は恐怖と寒さの中50分も校庭で待っていたのか‥

なぜ、あの目の前の高台に上らなかったんだろう?

その最大の疑問は最後に聞こうと思いながら中井さんの話を聞いていたら
 

「3.11の数週間前、ニュージーランドで地震があったのを覚えてますか?」

 
私「え?覚えてないです。」

 
「あったんですよ。
丁度東日本大震災の2週間程前に。

そこで建物が崩れて瓦礫になった映像をイヤと言う程見ました。
その映像がすり込まれて、建物の中は危ない。
外に出ようとなった。
そして、地震は1回ではなく何度も余震が来ました。
1分間隔で震度1や2、3などの地震がきます。

山はゴーーーという不気味な音と、木が地震のたびに揺れていたと思います。
それを見たら、山は土砂崩れが起こるかもしれないから危険と思ったのかもしれません。」
 

私「実際そこにいないと、地鳴りや木の音などどれだけ怖いか想像できないですね。」
 

「学校からは川が見えません。
だから川の様子は分からない。
東日本大震災までは、誰もが津波なんてものそんな怖いものと思っていなかった。
ここは川沿いだし、ここまでさすがに来ないだろうと思っていたのかも。」
 

確かに。

東日本大震災で津波がどれだけ怖いのか知ったけれど、それまで確かに私も津波が怖い事を知りませんでした。

私も海沿いに住む人間ですが、地震のときごくまれに
「津波に注意して下さい」
と警報が出る事がありました。

でも結果は20cmの津波だったとか・・
20cmなんて台風の高波と比べて屁でもないわと思っていたんです。

東日本大震災の津波を見てなければ、今もきっと津波に対する恐怖はないと思います。

大川小学校の先生方も同じだったのかな。

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津波が来る数分前から移動を始めたと先ほど言いましたが
1分前から移動を始めたそうです。

この50分の間に、一人の先生が高台に上がって川の様子を見るとかできなかったのかなぁ。

例の校庭前の高台へ‥

時間の関係で高台まで上って案内してもらう事は出来なかったんですが、

ここで驚愕の事実を知ります。

ここから高台のコンクリートたたきに上れます。

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子供達は普段からこの山でシイタケ栽培をしたり遊んだりしていて上りなれていたそうです。

しかし、石巻教育委員会は高台に上らなかった理由として

「山道は急斜面なので子供の足では上れない」
というのを挙げていたそう。

さらに、それを裏付ける為か、この山道に盛り土をしたそうです。

「えーーーーー!!!」

一同驚愕‥‥

なんという隠ぺい体質でしょう。

本当はもうちょっとなだらかだったらしい。
ただ、少々盛り土をしても余裕で上れますが。子供でも。

この後、中井さんと解散した後上ってみました。

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今見えるのは、川と崩れた学校だけだけど、前はここに沢山家があったんやなぁ。

語り部 中井さんの印象的な言葉

最後、学校から少し離れた慰霊碑まで案内してもらいました。

慰霊碑を学校のそばに置かなかったのは
大川小学校が震災遺構という名の観光地と化しているからだそうです。

観光気分で遊びに来てゴミを捨てて行ったり、おしっこをする人なんかもいたという‥

なので少し離れた場所に移動したんだとか。

信じられない心ない事をする奴もいるんですね。

慰霊碑で手を合わせ、ぼちぼちガイド時間も終わりに差し掛かった時
中井さんがポロっと言っていた言葉が印象的でした。

震災を経験して人生観が変わった。
物への執着が全くなくなった。
車とか良い服とかお金とか、執着している人が逆に可哀想に思える。
自分は原点を見た。

避難所で生活してた時は、お金もない。仕事もない。
でも食べ物はあったから生きられた。
何もなくても生きられる。

そのような事を言っていました。

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語り部さんに大川小学校を案内してもらった感想

関西から来たというのに、語り部の中井さんは嫌な顔一つせず真剣にお話してくれました。

ていうか、コロナのコの字も話題が上がらなかったんですよね。

被災された方にしてみると、それどころじゃないというか‥
震災を風化させてはいけない。
沢山の人に伝えたいという熱意がすごく伝わってきました。

大川伝承の会の語り部ガイドに参加できなかったのは残念でしたが

きっと大人数だったらここまで濃い話聞けなかったかもしれないし
色々質問もしづらかっただろうし
中井さんにお願いして良かったです。
 

【なぜ校庭の目の前に高台があるのに、そこへ行かず川の方へ行ったのか?】

の真実はまだはっきりしていません。
しかし、中井さんのお話を聞いて

  • 余震が何度も来ていたので、山の方が土砂崩れなどが起こる可能性があって危険と思ったのかも。
  • 今は周りに何もないので川が見えるが、当時は学校周辺は家があって川の様子が分からなかった。
  • 津波が学校まで来ると思っていなかった。
  • 当時は津波が怖いものと思っていなかった。

など色々な要因があった事が分かり
真実は分からないけれど納得する部分もありました。

後から
「なんで○○しなかったんだ?」

と非難する事は簡単だけど、実際自分がその場にいたら正しい判断ができたのだろうか?

今後もし同じような状況が目の前に現れた時、助かる方を間違わずに選択できるのだろうか?

そんな事を自問自答しながら帰りました。

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